国立大学法人岩手大学 創立80周年記念サイト

岩手大学同窓会連合北米支部代表、New York Institute of Technology Instructor

小林 覚さん

連合農学研究科 修了

小林 覚さん
Q1
まず、小林さんの現在のお仕事について教えてください。
アメリカ・ニューヨーク州にあるニューヨーク工科大学の医学部で、Assistant Professorとして勤務しています。主に心臓疾患に関する基礎研究を行っており、分野は細胞生物学です。いつも細胞の中の様子を顕微鏡で覗いています。
職場では、研究の時間が8~9割で、残りは授業や学生指導をしています。医学部の学生たちに研究機会を提供し、一緒にプロジェクトを進めています。加えて、博士課程の学生たちと論文を読みながら議論を深める授業も担当しています。学生たちと直接交流しながら学び合える環境は非常に刺激的であり、日々新しい発見があります。
Q2
小林さんが岩手大学へ進学した理由を教えてください。
農学部で稲の品種改良をして、日本の食に貢献したいという思いがあったからです。元をたどると、小学生の頃、自由研究で稲を育てたことがありました。育っていく様子を見ながら、稲について調べるうちに、昔は寒さに弱いためにお米が作れず苦労していたことや、東北地域で品種改良に取り組み、寒い地域でもおいしいお米が作れるようになったことを学びました。そうした体験から、新しい植物や環境に強い植物を育てることに強く関心を持つようになりました。
盛岡という地域を選んだのは、実は、函館から東北地方を巡る高校の修学旅行がきっかけです。盛岡でも一日、観光する予定でしたが、到着後すぐ、わんこそばを食べました。そこで、一緒に行動していたメンバーの一人が頑張りすぎて、200杯以上を食べて動けなくなってしまったんです。結局、その日の予定はすべてキャンセルになり、盛岡では何もできずに帰ることになってしまいました。その後、大学受験の時期に、全国の農学部を調べていたら、盛岡市に岩手大学があるということを知りました。修学旅行の印象が強く、とても気になっていた場所だったので、最終的に岩手大学を選ぶことにしたんです。
私の家族はいわゆる転勤族でした。私は滋賀県で生まれ、高知県で幼稚園を過ごして、東京都には約10年間いて、高校は神奈川県だったんです。私には、はっきりとした「出身地」がありません。生まれ育った故郷がある人たちを羨ましいと思う気持ちもありますが、様々な地域で過ごしてきたからこそ、海外での生活にも抵抗がありませんでした。暮らす場所について、こだわらない私ですが、盛岡は非常に魅力的な場所だと感じています。
Q3
小林さんが、岩手大学連合農学研究科修了後に現在のお仕事、そして、アメリカで働くことを選ばれた理由を教えてください。
大学院に進み、博士課程を修了する間近に、よく進路について相談に乗っていただいていた上村松生先生から、アメリカ・サウスダコタ州のラボを紹介いただいたことがきっかけです。当初は海外で働くことなどは想像していませんでしたが、何をするかも具体的に決まっていなかったので、「経験として挑戦してみよう」という気持ちで渡米しました。ポスドクとして研修できるラボでしたが、最初は英語も難しくて、職場では筆談でやり取りをしていました。ノートにやりたい実験を図解してもらい、理解してから取り組むというようにしていました。
約1年が経ち、慣れてきた頃に、大学のラボが閉まることになりました。急遽、次の行き先を決める必要があったのですが、日本とアメリカでは学期や年度の時期が異なるので、急に日本に戻るわけにもいきません。なんとか住んでいた地域の近くで、ポジションを紹介してもらうことができました。そこから心臓の研究を始めることになります。
それまでは、稲やトウモロコシなどの植物が対象でしたが、今度は動物の心臓の研究をすることになりました。どちらも広い意味では細胞生物学ですので、応用できる技術もあります。この経験は、自分自身の可能性を広げる大きな転機でした。最初は2~3年で日本に戻る予定でしたが、研究環境や人々との出会いが非常に充実していたため、そのままアメリカでキャリアを築くことになりました。
Q4
岩手大学での学びで今の仕事に役立っている事はありますか?
最初の仕事に繋がったのは実験技術ですね。ポスドクは、ボスがやりたいことを実践するポジションです。当時、細胞工学や遺伝子工学などの実験技術を一通り身に付けていたことは、とても役に立ちました。
また、研究の仕事を続けていくうえで、自分でアイデアを出したり、こういう仕事がしたいというアピールしたりすることが必要になる場面もあります。その段階になると、技術だけではなく、研究に対する考え方、つまりロジックが重要になってきます。そこでは、実験を組み立てる、実験プロセスそのものを学んでいたことが大きく役立ちました。大学で学んだことが全てではありませんが、学生の頃の学びが土台となって、今に繋がっていると実感しています。
岩手大学での学びで今の仕事に役立っている事はありますか?
Q5
学生時代はどのように過ごしていましたか。心に残っている思い出などあれば教えてください。
実は学生時代は、必修の単位を落としてしまったり、卒業が危ぶまれたりもしたんです。最後の試験は、先生に目の前で採点されるという始末でした。振り返ると、うまく学習する自分のスタイルみたいなものが、見つけられていなかったと思います。周囲に助けられて、なんとか卒業することができました。
当時、講義後には友人たちと食堂や部屋で語り合ったり、夕方からナイタースキーや温泉へ出かけたりすることが多かったです。仲間と連れ立ってドライブに出ることもよくありました。真夜中不意に思い立ち、浄土ヶ浜に朝日が昇るのを見に行き、そのままの勢いで、秋田沿岸まで陽が沈むのを追いかけたことも覚えています。改めて、当時は、とても贅沢な時間を過ごしていました。研究室で夜遅くまで実験データと向き合った日々もあり、その経験は今につながっていると思います。
Q6
現在、代表をされていらっしゃる岩手大学同窓会連合北米支部の活動やメンバーについて教えてください。
北米支部には現在約30名のメンバーがいて、アメリカ在住者だけでなく、帰国した卒業生も参加しています。主な活動としては、年2回のオンライン同窓会や在学生への留学相談などがあります。
北米地域の岩大卒業生が繋がるきっかけとなったのは、コロナ禍直前の2020年、岩渕明前学長の訪米時に対面形式で同窓会を開催したことです。当時は岩大卒業生がどこに何人いるのか全く知りませんでしたが、その同窓会開催の情報をいただき、実は遠くない場所にも5~6人いることがわかりました。そこからSNSで調べ始めて、片っ端からメッセージを送ったりして、リストにしていったんです。そして、フェイスブックに交流のためのグループを作りました。学部を問わず参加していますし、職業も様々で、年代も20代から70代まで幅広くいます。西海岸からテキサス、アイオワまで幅広い地域の卒業生とのつながりが生まれています。この交流は緩やかですが着実に広がり続けています。
Q7
学生たちへ伝えたいことがあれば、お聞かせください。
岩手大学の教職員や学生たちには優しい人が多いという印象を私は持っています。困っていたら助けてあげたいという気持ちがある人が多いので、そういう人たちを頼りながら、自分がやりたいことを周囲に発信し、様々な繋がりを広げられるといいですね。そうすると、自分ができることが増えていくので、今度は自分が誰かを助けたり、誰かのためになることができます。とにかく外へ出て、たくさんの人と交流して、様々な情報交換をしてください。自分の可能性をどんどん広げて、自分がやりたいことを達成していってほしいと思います。もし、海外に行ってみたいという人がいれば、気軽にアプローチしてください。
Q8
2029年に創立80周年を迎える本学へメッセージをお願いします。
創立80周年という節目は、多くの卒業生・在校生・教職員が築いてきた歴史と絆を振り返る貴重な機会だと思います。この長い歴史の中で育まれたつながりがさらに広がり、新しい挑戦や変化へとつながることを期待しています。そして100周年、その先へ向けて岩手大学がますます発展し続けることを心から願っています。
2029年に創立80周年を迎える本学へメッセージをお願いします。

2025年4月9日(水)、岩手大学上田キャンパスにて収録