国立大学法人岩手大学 創立80周年記念サイト

株式会社BrewGood取締役、キリンホールディングス飲料未来研究所技術アドバイザー

村上 敦司さん

農学部卒業、農学研究科修了

村上 敦司さん
Q1
岩手大学ではどのような研究に取り組まれていましたか。また、学生時代を振り返って印象に残る先生や出来事、その後のキャリアにつながった経験があれば教えてください。
 農学部農学科の植物遺伝学研究室で学び、故・海妻矩彦先生のもとで大豆タンパク質の研究に取り組みました。当初は大学院へ進学するつもりはありませんでしたが、3年次に研究室へ配属され、「研究って、こんなに面白いんだ」と夢中になり、そのまま大学院へ進みました。大豆のタンパク質がどのように作られ、なぜ大量に蓄積されるのかをテーマに研究していました。
 振り返ると、大学時代は「好きなこと」を見つけることができた時期でした。研究の面白さを知り、本気で打ち込むことができました。
 また、合唱団での活動も私にとって大きな財産です。そこで緻密に創り上げる音楽の魅力に出会い、たくさん練習しました。合唱団の先輩からジャズを教わったことがきっかけで、その魅力にも深く引き込まれました。大学院生になってからは社会人合唱団「盛岡バッハ・カンタータ・フェライン」で音楽活動を続け、そこで生涯にわたって付き合える仲間たちとも出会いました。
 実は、就職したキリンビールとの縁も合唱活動から生まれたんです。社会人合唱団の指揮者だった佐々木正利先生のご縁で、「キリンビールがホップの品種改良を担当できる人材を探している」という話をいただきました。それが現在まで続くホップ研究の出発点です。
 研究、音楽、そしてジャズ。今振り返ると、大学時代にその後の人生で夢中になれることをすべて見つけたような気がしています。
Q2
岩手大学を進学先に選んだ理由を教えてください。
 高校時代、一関で下宿生活を送りながら理数系の進路を選びました。もともと生物に強い興味があったのですが、進学先を決定づける出来事になったのが、NHKで放送されていた「一粒の種が世界を変える」という特集番組でした。
 その番組では、戦後、アメリカへ渡った日本の小麦の遺伝資源が世界の食糧問題の解決に大きく貢献したことが紹介されていました。岩手県盛岡市にあった当時の岩手県農事試験場で保存されていた「小麦 農林10号」という品種に由来する、背丈を低くする遺伝子が世界中に広まり、インドやバングラデシュなどの飢餓克服につながった「緑の革命」の話です。その成果は後にノーベル平和賞にもつながりました。
 私はその番組を見て、「これだ」と思いました。遺伝学の研究が世界の課題解決につながることに大きな魅力を感じたのです。そして、そのような研究が岩手大学農学部でできると知り、高校生のうちに大学、学部、さらには研究室まで決めていました。
 魅力を感じたのは、純粋な遺伝学だけではなく、品種改良を通じて社会に役立てる「育種学」として学ぶことができる点でした。研究成果が実際の農業や人々の暮らしにつながるところに強く惹かれたのだと思います。
 また、経済的な理由もありました。私の家は決して裕福ではなく、村上一族で大学へ進学したのは私が初めてでした。そのため現実的に考えると、岩手大学への進学が最も有力な選択肢でした。結果として、その選択がその後の人生を大きく方向づけることになりました。
岩手大学を進学先に選んだ理由を教えてください。
Q3
長年にわたりホップ研究を続けてこられた原動力は何でしょうか。
 「楽しいから」に尽きると思います。楽しくないと長続きしないですから。
 ホップは研究すればするほど新しい顔を見せてくれます。品種改良だけではなく、化学分析や醸造技術まで含めて理解しなければ、その価値は見えてきません。ホップの魅力は最終的にビールになって初めてわかるので、自然と研究領域も広がっていきました。
 当時はホップ研究の専門家が多くなかったため、「誰かに頼む」のではなく、自分でやるしかありませんでした。品種改良も、分析も、醸造も、品質評価も、自分で取り組みました。その結果、気が付けばホップに関する仕事が次々と集まるようになっていました。
 毎年ドイツへ行き、その年に収穫されたホップの品質評価も担当していました。農家ごとのホップを見て、なぜ購入するのか、なぜ購入しないのかを説明する。その経験も、自分の視野を広げてくれたと思います。
Q4
研究人生の中で最も大きな転機だった出来事を挙げるとしたら何でしょうか。
 キリンビールでの「とれたてホップ一番搾り」の開発です。
 きっかけは、先輩から「生のホップでビールを作ったことがあるか」と聞かれたことでした。ホップは通常、乾燥させて加工してから使います。しかし私は試しに生のホップを使って小規模な醸造実験を行いました。
すると、これまで経験したことのない鮮烈な香りのビールができあがったのです。「こんなうまいビールできるのか」と、腰を抜かすかと思うくらい驚きました。
 しかし、当時は「こんな香りの強いビールは売れない」と言われました。その頃はホップを効かせたビールはなかったんですね。「ホップ香」ではなく「ホップ臭」と言われて嫌われていた時代です。それでも私は可能性を感じていたので、毎年つくって、社内のいろんな人に飲ませていたんです。みんな、おいしさに驚いていました。そうしているうちに、やがて社内でも評価されて、商品化へと進んでいきました。
 ホップは普通は乾燥させて使うので、生のホップを使うためには物流も設備も変更しなければならず、全社的なプロジェクトになりました。完成したビールのおいしさが、多くの人を動かしたのです。工場では普通は全て自動ですが、この商品は今でも人の手で生ホップを釜の中に入れています。運ぶ人、渡す人、投入する人、それぞれ役割分担があって、見事な連携プレーです。今年も仕込みをやりました。季節商品としてはロングセラー中のロングセラーなので、作る側もやりがいがあります。
 そして、忘れられないのは、山手線で偶然耳にした会話です。中吊り広告を見ながら、「このビール、知ってる?本当に香りが良いんだよ。遠野のホップを使ってるんだ」と話しているサラリーマンがいました。その瞬間、鳥肌が立ちました。
 その時に、自分は「お客様が喜ぶものを作りたい」のだと気付きました。研究成果が実際に人を喜ばせている姿を目の当たりにしたことが、私の研究人生の大きな転機でした。
研究人生の中で最も大きな転機だった出来事を挙げるとしたら何でしょうか。
Q5
2010年には、ドイツホップ研究協会の技術アドバイザーに就任されました。そのときのお気持ちや、どのような思いでその役割を担われたのかお聞かせください。
 当時は世界でもわずか6人しかいないアドバイザーでしたので、大変光栄なことでした。
 きっかけは、ドイツで行った講演でした。キリンビールのホップに対する考え方や品種ごとの特徴について話をしたところ、その後でアドバイザー就任を依頼されたのです。
 後で理由を聞いたところ、「村上は畑からビール、さらに化学まで全部分かっている」と言われました。
 ドイツでは専門分化が進んでおり、品種改良、分析、醸造といった分野ごとに専門家がいます。しかし、それらを横断的に理解している人材は多くありませんでした。そうした経験を評価していただいたのだと思います。
 研究協会では、大学などで行われるホップ研究の成果や研究方針について助言を行いました。私自身も世界最先端の研究情報に触れることができ、大変刺激的な経験でした。
Q6
世界で活躍するうえで、岩手大学で学んだ経験はご自身にどのような影響を与えたと感じていらっしゃいますか。
 岩手大学で学んだことで、「まず自分でやってみる」という姿勢が身に付きました。
 学生時代の研究では、遺伝学だけでなく抗体を作る実験など、さまざまなことを自分でやりました。誰かに頼るのではなく、自分で挑戦してみる。その習慣が自然と身に付いていました。
 ホップ研究でも同じです。興味があればまず自分でやってみる。新品種開発も、醸造も、加工技術もその延長線上にあります。
 そして、私は「楽しみ」を見つけることが得意だと思います。背伸びしたものではなくて、日常のなかにある楽しみです。その原点は岩手大学時代にあると思っています。
Q7
村上さんご自身のお名前が付けられたホップ品種「MURAKAMI SEVEN」について、開発当時のエピソードや、この品種ならではの魅力や特徴について教えてください。
 実は、「MURAKAMI SEVEN」という名前は私が付けたわけではありません。
 もともとは「江刺7号」という開発番号で管理していた品種でした。江刺の試験圃場で育成していたホップで、数多くの候補の中でも特に香りが優れていました。
 私は学位研究の中でその系統を使っていましたが、当時は新品種として世に出すことまで考えていませんでした。ところが実際に育ててみると、生育も良く、ホップの付き方も美しかった。そこで新品種として育成を進めました。
 後に商品化する際、「名前は任せる」と担当者に伝えたところ、気付いた時には「MURAKAMI SEVEN」で商標登録まで済んでいました(笑)。
 恥ずかしさもありましたが、それだけ期待されていたことの表れだったのだと思います。
Q8
現在の遠野で取り組んでいる活動と、そのなかで大切にしていることを教えてください。
 キリンビールを定年退職した後は、もともと夢だったジャズ喫茶を開く予定でした。その夢は叶いましたが、さらに新たな挑戦も始まりました。
 遠野は日本有数のホップ産地ですが、地元で使われるホップにはもっと可能性があると感じていました。そこで新品種の開発や新しい加工技術の研究を始め、その活動が現在のGOOD HOPSやBrewNote遠野につながっています。
 目指しているのは、「遠野に来なければ飲めないビール」を作ることです。遠野ならではのホップ、遠野ならではの技術、遠野ならではの味を地域の魅力として発信していきたいと考えています。
 最近では全国各地のイベントに出店していますが、遠野のファンが集まり、GOOD HOPSのTシャツを着た方々が会場に大勢来てくださいます。そうした光景を見ると、本当にうれしくなります。遠野のホップとビールを通じて、人や地域がつながる循環をさらに大きくしていきたいと思っています。
 また、活動を続ける中では、後進の育成も大切にしています。人を育てるうえで私が大切にしているのは、「やって見せること」です。言葉だけで人は育ちません。私自身が現場で実験し、新しいことに挑戦する姿を見せることを心掛けてきました。
 管理職になってからも最後までプレイングマネージャーとして現場に立ち、退職直前まで実験を続け、実験ノートも自分で書いていました。新しいことに挑戦する姿勢や研究を楽しむ気持ちは、会議で説明するだけでは伝わりません。だからこそ、まず自分がやる。それが私の考える人材育成であり、今も変わらない信条です。
現在の遠野で取り組んでいる活動と、そのなかで大切にしていることを教えてください。
Q9
岩手大学の学生へのメッセージ、そして今後の大学への期待をお聞かせください。
 大学時代は、その後の自分の人生を決めるような「楽しさ」を見つける時間だと思います。
 私自身、研究に出会い、夢中になりました。その経験が人生を大きく変えました。皆さんにも、研究でもサークル活動でも趣味でも構いませんので、自分がのめり込める何かを見つけてほしいと思います。就職活動も大切ですが、それ以上に、自分らしさや本当に面白いと思えるものを見つけることが重要ではないでしょうか。
 岩手大学では近年、世界に誇れる先進的な研究が生まれています。卒業生として大変うれしく思っています。これからも基礎研究を大切にしながら、世界を驚かせるような研究成果を数多く生み出してほしいと思います。そして、学生たちが自分らしい楽しさや可能性を発見できる大学であり続けてほしいですね。

2026年9月28日(月)醸造所「GOOD HOPS」(岩手県遠野市)のタップルームにて収録